先日ありがたいことにwaveboxにてSkebに関する親身なメッセージを頂き大変励まされました。
それに関して、以下のようなポストをしたところフォロワーさんがごっそり減って笑いました。
どうやら私の選択した言葉が刺さった人があまりいなかったようです。またいつか。
この「小説は誰にでも書ける」という話って面白いなあ、と思ったので少し書いてみようと思います。
小説は誰にでも書ける
先のXのポストと重複しますが、私は小説は誰にでも書けると思っています。
〇大体の場合、日本語の小説は日本語を母国語とした人が書いていること
〇状況や感情の描写を幾文も重ね集めて、説明文ではない文章の集まりを形成したものを小説だと思っていること
※ちなみに、小説とはで調べると「作者の構想を通じて、人物や事件、人間社会を描き出そうとする、話の筋をもった散文体の作品。」と出てきます。(Google の辞書ボックスから)
※作者が意図して構成した文章の連なりを私は小説だと思っているので一般的な小説の定義とはかけ離れてはいないと思います。
この二つは時間をかけて粘って練り、最後まで書ききることができれば小説は誰にでも書けるというのが私の今の考えです。
納得の結果が得られる文章は難しい
小説は誰にでも書けますが「自分が納得のいくお話」や「誰からも認められる称賛される傑作」というものは途端に書くことが難しくなるな、と思います。
粘って執筆した結果として得られた小説というひとまとまりの中に、自分が選んだ言葉、自分が好きであり他人も乗ることができるリズム、それらを意味が通るように並べる論理性、体験してきた揺らぎとそれを自らに落とし込んだ経験、平静を失いかけた衝撃や葛藤と乗り越えた強さ……などなどを盛り込む。
その行為の中には、単に言葉で表現するだけではない内面の自己開示があり、自身を曝け出すということはとても高揚感を得られ、苦しさを伴い、時に孤独に陥るリスクがあります。
リスクを鑑みても自分のことを表現する方法として小説を選び、自分が自信を持てる作品を書くこと、続けることはとても難しいです。
ただ、その難しさを意識しながら書いたお話は「誰にでも書ける小説」ではなく「私にしか書けない小説」になるのかなあとぼんやり考えていました。
小説は誰にでも書けるのか?
さて、本当に小説は誰にでも書けるのか?
前項を考えたものの私の考えは変わらず、「小説は誰にでも書ける」です。
日本語を操って書いた意図された文章を小説というならば、それを小説ではないと判断することはできないな、と思っています。
しかしながら、自我でか本舗のかわかみという人間が書いた物語、私自身が数ある言葉から選択し、私自身の内面を言語化し、思考の繋がりを考えながら並べた言葉は「私にしか表現できない小説」であることも事実です。
相反するような二つの事柄ですが、どちらが正しいわけでもないと思います。
小説を書くことについて二つの側面がある、と意識して自分を納得させることもまた、小説を書くことへの糧になるのではないかな、という考えに至りました。
こうして、いろんなことを考える機会を得るということはありがたいことですね。
最後になりますが、かわかみの文章、お話、作ったキャラクター達を好きだと言ってくれる皆様、作品を読んでいただいている方々には大変感謝です。
今後とも、ふわーっと更新していきますのでお付き合いいただければ嬉しいです☺


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